2019年08月13日

父のこと

2019年8月10日18時ちょうどに父が息を引き取りました。5月31日に脳梗塞で
倒れホームから病院に運ばれてから2か月と10日。既に両眼の光も失っており、
右半身の麻痺が残り病院で献身的にリハビリをしていただくものの嚥下訓練
が上手くいかず食することがままならない状態で点滴を続けていました。
このままこの状態が続くと確実に死しかないので医師から胃ろうを勧められ
ましたが家族皆の意見は延命治療はしないことで一致していたので点滴のみ
で安らかに自然死を迎える時を待つ状態でした。食べられないということは
生き物にとっては「死」を意味するのだと思います。病院へ通いながら日々
やせ細っていき意識も朦朧とする父の姿を見るのは辛かったですがそれでも
痛みや苦しみは感じられず最後まで穏やかな安らかな綺麗な顔でした。
私が母から連絡をもらい映画館から病院へ駆けつけた時は既に息を引取って
おり空は血のような真っ赤な夕暮れでした。あの時の空の色忘れられません。
息をしてないと判ってはいるのに筋肉の収縮からかまだ若干布団が動いてる
気配もあり触れた頬には未だぬくもりも感じられ生きてるのではと思うほど。
それでも病院から霊柩車で斎場へ運ばれる際の痩せた1本の杖のような身体を
見ると父がこの世で為すべきことはもうすべて為したんだと納得がいきました。
母と兄では少し心もとないので葬儀の打合せから最終自宅への祭壇安置まで
全て一緒に関わりました。身内をはじめ葬儀には幾度も参列していますが
主となって身内を送る、或いは葬儀に参列してくださった方をもてなす側に
立ったことはなかったので3日間大変勉強になり色んな思いを抱きました。
まず何も分からない私達を丁寧に導いていただいた会館の方には本当に感謝
しています。典礼会館を使用しましたが生前の父の尊厳を大切にしたと感じる
湯灌の儀、着脱は見せずに丁寧に身体を清めていただき装束を丁寧に着衣して
いただいた上顔には自然なメイクまで施していただいて大変感銘を受けました。
母が学会員なので葬儀は学会葬をお願いしたのですが無報酬にも関わらず導師
さまをはじめ幾人かの方の丁寧なお念仏に素直に祈りの奥深さを感じました。
自分と関係のない人のためにも「祈る」誰にでも出来ることではないと思います。
本当に感謝しています。様々な宗教があり宗派は違えども「安寧を祈る気持ち」
は共通なんだと改めて思いました。父の実家は浄土真宗ですが学会葬をお願い
して本当に良かったと思っています。父も喜んでくれていると思います。
暑い中、遠方からも来ていただいた親族の方々にもとても感謝しています。
お通夜から泊りがけで来ていただいた方もいて典礼会館の親族控室がさながら
高級ホテル並みのラグジュアリ―感だったのでゆっくり寛いでもらえたのでは
と思います。私達も久しぶりに集まる親戚との飲み会的なノリで楽しめました。
お通夜の後の会食ではお酒の力もあってか親族も饒舌になり、知らなかった父の
思い出話なども叔母たちから聞くことができて大変有意義でした。あまり多くを
語らない父でしたので早くから両親を亡くしてとても苦労して生きてきたという
ことしか知らなかったので亡くなってからより深く理解した気持ちになりました。
若い頃は口うるさくて価値観の押し付けが煩わしかった親戚の方も自分が経年で
色々経験するうちに言ってることも受け入れれる或いは受け流せるようになり、
若い頃の私は何に拘って粋がっていたのかよく分からなくなりました。
初七日も葬儀の最中に続けて行ったので葬儀→火葬→会食→骨上げまでの流れも
スムーズで暑い最中でしたがそれほど皆さんを疲れさせることもなかったのでは
と思います。色々あっていつも父に心配をかけてた兄ですが立派に喪主を務めた
姿にきっと父も涙しているのではないかと思います。実家への祭壇安置→四十九日
の軽い打合せまで母を兄姉妹で支合って協力して行うことが出来、こじんまりした
家族葬でしたが80年精一杯生きた父に相応しい恥ずかしくない式と自負してます。
どん底の貧乏、苦労を生き抜き怖いものなどなかった父。曲がったことが嫌いで
決して多くを語らずでも自分の強さを前面に押し出すこともなく穏やかで私の娘
にとっても可愛い優しい御爺ちゃんで大好きでした。私が社会人になって23歳で
大学を受けると言った時に「途中で投げるなよ」と言った激励の言葉も忘れられ
ません。それまで何でも中途半端やった私はそこから地に足のついた人生を送る
ことが出来るようになったと思います。経済的に十分ではなかったかもしれないし
社会的な地位も高くなかったかも知れませんが一本筋の通った生き方をしてきた
そしてそれを背中で私達に教えてくれた父を本当に尊敬しています。
幼少期に十分な栄養を与えられず過酷な人生を送ってきたので老齢期には
大腸がん、肺気腫、両眼失明、脳梗塞など病気に悩まされていました。
交通事故に合い右足首を複雑骨折した時はもう寝たきりになるだろうと言われてた
のにリハビリし歩けるようになり裁判で事故の補償も勝ち取った父は根性の人
やったと思います。光を失っても取り乱すことなく希望を失わず淡々と生を全う
した父の80年間の人生で関われる時は目一杯関わり出来ることはやってきたので
悲しみや寂しさはあれど後悔や悔いは何一つありません。色々本当にありがとう。
私にはまだ少し母と一緒に残務処理が残っています。様々なことがひと段落して
ふっと空を見上げたら大きな喪失感に見舞われるのかもしれないです。そん時は
思い切り号泣しよかな。
posted by menchan at 15:24| Comment(0) | 雑記