2019年08月15日

米寿

父の訃報で順番が前後してしまいましたが土曜日はおばあちゃん(義母)
の米寿のお祝いでした。まず八十八のお誕生日を迎えるまで元気で自活
した生活を送ってくれていることにとても感謝しています。
私達の近くで一人暮しを初めて2年が経ちました。おばあちゃんがこちら
に越して来たのが2年前の今日。高齢ですし今までの生活を捨ててこちら
で一人で暮らすことに不安はあったと思います。慣れた暮らしへの執着も
あったと思います。色々と奪ってしまったのではないかと言う気持ちも
無きにしも非ずで心配していましたがこちらの暮らしにも馴染んで穏やか
に楽しくやってくれていること本当に有難いと思っています。
近所なので夫が毎日食事を届けていますがそんな暮らしが成り立つのも
おばあちゃんが元気で居てくれるからこそで毎日なんの障害もなく仕事に
当たり前に行かせてもらえていることにも感謝でいっぱいです。
米寿のお誕生日の週はデイサービスでお祝いをしてもらったり、孫や息子
がお祝いに来てくれたり、私の母が赤飯を焚いてお祝いに行ったりで、
「嬉しかった」とニコニコしながら話してくれました。夫の弟の息子(孫)
からは感謝のいっぱいこもった手紙が届けられ私も見せてもらいましたが
涙なしでは読めませんでした。お互いいい関係性なのだと思いました。
大きなケーキを持ってきてくれたので私達もお裾分けをいただきました。
デイサービスの方がくれた誕生日カードを大切にしまってあるお菓子の箱
から出してきては自慢げに見せてくれる満足そうな顔も可愛く愛しい。
なんだかなぁ、私自身初老に差し掛かってるのか、愛しく愛するものが
老若男女の垣根を越えてどんどん増えてきてそこら中愛で充満してます。
愛しいとか愛してるとか昔は特定の人にしか恥ずかしくてよう言わんかった
んですが最近思ったら簡単に口に出してしまう。だって愛おしいんやもん。
この年になると自分の気持ち伝えるのに恥ずかしいも何もないです。
和やかな米寿祝のランチの後、同日に父の訃報からバタバタのお盆やった
んですが頑張って生きてきたおばあちゃんの人生、最後まで笑顔で一緒に
伴走していきたいなと意を改にした次第です。私が元気もらってます。
いつも本当にありがとう。そして88歳おめでとう。
posted by menchan at 20:19| Comment(0) | 雑記

2019年08月13日

父のこと

2019年8月10日18時ちょうどに父が息を引き取りました。5月31日に脳梗塞で
倒れホームから病院に運ばれてから2か月と10日。既に両眼の光も失っており、
右半身の麻痺が残り病院で献身的にリハビリをしていただくものの嚥下訓練
が上手くいかず食することがままならない状態で点滴を続けていました。
このままこの状態が続くと確実に死しかないので医師から胃ろうを勧められ
ましたが家族皆の意見は延命治療はしないことで一致していたので点滴のみ
で安らかに自然死を迎える時を待つ状態でした。食べられないということは
生き物にとっては「死」を意味するのだと思います。病院へ通いながら日々
やせ細っていき意識も朦朧とする父の姿を見るのは辛かったですがそれでも
痛みや苦しみは感じられず最後まで穏やかな安らかな綺麗な顔でした。
私が母から連絡をもらい映画館から病院へ駆けつけた時は既に息を引取って
おり空は血のような真っ赤な夕暮れでした。あの時の空の色忘れられません。
息をしてないと判ってはいるのに筋肉の収縮からかまだ若干布団が動いてる
気配もあり触れた頬には未だぬくもりも感じられ生きてるのではと思うほど。
それでも病院から霊柩車で斎場へ運ばれる際の痩せた1本の杖のような身体を
見ると父がこの世で為すべきことはもうすべて為したんだと納得がいきました。
母と兄では少し心もとないので葬儀の打合せから最終自宅への祭壇安置まで
全て一緒に関わりました。身内をはじめ葬儀には幾度も参列していますが
主となって身内を送る、或いは葬儀に参列してくださった方をもてなす側に
立ったことはなかったので3日間大変勉強になり色んな思いを抱きました。
まず何も分からない私達を丁寧に導いていただいた会館の方には本当に感謝
しています。典礼会館を使用しましたが生前の父の尊厳を大切にしたと感じる
湯灌の儀、着脱は見せずに丁寧に身体を清めていただき装束を丁寧に着衣して
いただいた上顔には自然なメイクまで施していただいて大変感銘を受けました。
母が学会員なので葬儀は学会葬をお願いしたのですが無報酬にも関わらず導師
さまをはじめ幾人かの方の丁寧なお念仏に素直に祈りの奥深さを感じました。
自分と関係のない人のためにも「祈る」誰にでも出来ることではないと思います。
本当に感謝しています。様々な宗教があり宗派は違えども「安寧を祈る気持ち」
は共通なんだと改めて思いました。父の実家は浄土真宗ですが学会葬をお願い
して本当に良かったと思っています。父も喜んでくれていると思います。
暑い中、遠方からも来ていただいた親族の方々にもとても感謝しています。
お通夜から泊りがけで来ていただいた方もいて典礼会館の親族控室がさながら
高級ホテル並みのラグジュアリ―感だったのでゆっくり寛いでもらえたのでは
と思います。私達も久しぶりに集まる親戚との飲み会的なノリで楽しめました。
お通夜の後の会食ではお酒の力もあってか親族も饒舌になり、知らなかった父の
思い出話なども叔母たちから聞くことができて大変有意義でした。あまり多くを
語らない父でしたので早くから両親を亡くしてとても苦労して生きてきたという
ことしか知らなかったので亡くなってからより深く理解した気持ちになりました。
若い頃は口うるさくて価値観の押し付けが煩わしかった親戚の方も自分が経年で
色々経験するうちに言ってることも受け入れれる或いは受け流せるようになり、
若い頃の私は何に拘って粋がっていたのかよく分からなくなりました。
初七日も葬儀の最中に続けて行ったので葬儀→火葬→会食→骨上げまでの流れも
スムーズで暑い最中でしたがそれほど皆さんを疲れさせることもなかったのでは
と思います。色々あっていつも父に心配をかけてた兄ですが立派に喪主を務めた
姿にきっと父も涙しているのではないかと思います。実家への祭壇安置→四十九日
の軽い打合せまで母を兄姉妹で支合って協力して行うことが出来、こじんまりした
家族葬でしたが80年精一杯生きた父に相応しい恥ずかしくない式と自負してます。
どん底の貧乏、苦労を生き抜き怖いものなどなかった父。曲がったことが嫌いで
決して多くを語らずでも自分の強さを前面に押し出すこともなく穏やかで私の娘
にとっても可愛い優しい御爺ちゃんで大好きでした。私が社会人になって23歳で
大学を受けると言った時に「途中で投げるなよ」と言った激励の言葉も忘れられ
ません。それまで何でも中途半端やった私はそこから地に足のついた人生を送る
ことが出来るようになったと思います。経済的に十分ではなかったかもしれないし
社会的な地位も高くなかったかも知れませんが一本筋の通った生き方をしてきた
そしてそれを背中で私達に教えてくれた父を本当に尊敬しています。
幼少期に十分な栄養を与えられず過酷な人生を送ってきたので老齢期には
大腸がん、肺気腫、両眼失明、脳梗塞など病気に悩まされていました。
交通事故に合い右足首を複雑骨折した時はもう寝たきりになるだろうと言われてた
のにリハビリし歩けるようになり裁判で事故の補償も勝ち取った父は根性の人
やったと思います。光を失っても取り乱すことなく希望を失わず淡々と生を全う
した父の80年間の人生で関われる時は目一杯関わり出来ることはやってきたので
悲しみや寂しさはあれど後悔や悔いは何一つありません。色々本当にありがとう。
私にはまだ少し母と一緒に残務処理が残っています。様々なことがひと段落して
ふっと空を見上げたら大きな喪失感に見舞われるのかもしれないです。そん時は
思い切り号泣しよかな。
posted by menchan at 15:24| Comment(0) | 雑記

2019年05月04日

新しい時代になって

5月1日から天皇陛下即位により新しい時代になっておかげさまで
10日間ものんべんだらりとお休みをいただくことができました。
昭和15年→平成30年→令和25年くらい?もし次の時代も生きてたら
4つの時代を生きることになるんでしょうか?すごいな。
平成を生きてきた感想は「よう持ち堪えたな」です。時代の流れが
速くなり情報がすぐに陳腐化し、ストックと思われていた知識が
すぐにフローに転換し、これさえあれば大丈夫と思えるものがない。
誰かの価値観で誰かの言いなりになり何も考えず努力せず長いもの
に巻かれて生きていくのは完全に困難になってしまった時代、
それが私にとっての平成でした。
私は社会に出てしばらくしてからなんとなくそのことを感じていて
でもここまで速い流れでぶった切られるとは正直思てませんでした。
ライフスタイル、ジェンダー、働き方、結婚、子育て、何もかも
まだまだとは言えある程度声を上げて自由に選択が出来る時代です。
それはそれで喜ばしい事ですが代わりに全部自己責任になります。
自由を得るということは責任を負うということ、権利の主張は義務
を背負うこととイコールやと昔から思ていてダイナミズムでええ時代
ですがしんどい時代になったなぁという感じは否めません。
令和はもっとゆっくりさせてもらいたいものですがこの流れは加速
することはあっても止まったり減速したりすることはないでしょう。
変化に柔軟であることが生き残りの秘訣であるなら頭の固いオバハン
の私は淘汰されることになってしまうのか怖いですが、まだ10年ほど
は守るべきものがありそれなりに責任もあるので頑張りましょう。
新しい時代にあたって特に何が変わる訳でもないのですがひとつだけ
自分が心がけて行こうと思てることは「きちんと伝えること」です。
これまで私らが日本人として大事やと教えられてきた阿吽の呼吸とか
和を持って尊しとすとか空気読みなさい、みたいな言わんでも分かる
やろとか昭和の夫婦的なものは一切通用しなくなると思てます。
夫婦でも親子でも兄弟でも同僚も上司も部下も友人も知り合いも。
元々日本は単一同族国家である程度一定の価値観を共有してきました。
こういう生き方をすれば幸せになれるみたいなステレオタイプがあり
そこに自分を合わせて行けばいいのである意味考えなくても良くて
楽やったんですね。そういうもんだろ?とかそれが常識やろ?とか。
そやけど今それが完全に崩れてしまっているので良し悪しは別として
言葉にしてきちんと伝えないと相手は自分ではないので伝わらない、
ということを前提に生きなければならないと思てます。言葉にして
書くと「当たり前」のことですが親子や夫婦や異性間の支配関係の
問題にも見るようにこの当たり前ことができてないことが多すぎて
様々な場面で摩擦が起きているように感じます。
男と女はこういうもの、子供は親に従うもの、結婚して子供産んで
車買って家買って35年ローン組むのが幸せ。全部壊れました。
多様な価値観、多様な生き方、多様な国籍、多様な世代が共存する
世を生きていくにあたって自分の生きてきた自分が作った常識だけ
に当てはめて相手に勝手に期待して妄想して失望しないでキチンと
言葉にして伝える訓練を今後も怠らないようにしたいと思てます。
相手に対しても何を考え何を大事にどうしたいのかを聞いた上で
お互いのすり合わせをして着地点を見つける。私の娘は小学6年
ですが学校では既にそのような正解のない問題の正解を導き出す
みたいな授業がなされており学校教育って有難いなと思てますが
私はそのような教育を受けておらずアップデートは結構大変です。
私も今職場で外国人労働者と仕事をしてたり、住んでる集合住宅に
外国人が住んでたりしますがひとつずつ伝えていかないとこちらの
常識など一切通用しません。外国人労働者の受入れに舵を切り、
ジェンダーの垣根を越えて多様な生き方が選択できる時代では、
ひとつの価値観、ひとつの常識などで収まり切れるはずもないです。
相手を立場や力で支配せずきちんと言葉にして伝えていくこと。
その上で自分にとって何が一番大事かを自分の頭で考えて見誤る
ことなく自分で選択して責任を持って生きていきたいと思います。
もう人生も後半戦ですが下り坂には下り坂なりの素敵な景色がある
と思てます。しんどいことも笑い飛ばして楽しくやりたいですね。
posted by menchan at 22:31| Comment(0) | 雑記