2019年11月22日

いい夫婦の日に思うこと。

壇蜜と安藤ナツがいい夫婦の日に結婚したのでいい夫婦の日に思うことを。
私が夫と結婚したのは私が28歳の時、夫46歳、年の差18歳あれからもう17年
になる。結婚を決めた時夫は無職で思えば私の彼と一緒に居たい気持ち
しかなかった。46歳の彼が18歳年下の私にプロポーズするにはあまりにも
大変かと思ったので私が「一緒に居たい、結婚して欲しい」と言ったら彼は
「はい」と言ったんやっけな。普通の親なら猛反対するかもしれない。
18歳も年上の無職の男性に娘を嫁がせて幸せになれるかと思うかもしれない。
でも彼が両親に挨拶に行った時両親は二つ返事でオッケー。後で理由を聞い
てみると結婚は子供がするもの、親が口出しするものではない大人の二人が
決めたことで娘の選んだ人を信用しているとのこと、泣いた。
子供は一人で育てていくことになるかもしれないし当時は考えてなかった。
夫に先立たれて一人で育てていく自信もなかった。でも32歳で偶々身籠った
子供がダメだった時自分の中の母性が無性に生みたいと望み翌年有難い事に
娘を授かることができた。夫、51歳。私は既に自立してて不安はなかった。
娘が出来たと判った日も娘が生まれた日のことも忘れられない。夫はいつも
私の不安を和らげ自分のことのように指示するでもなく命令するでもなく
ただ寄り添って彼に出来る最大の努力をしてくれた。
私は良き妻でも良き母でもないし今後頑張っても余所の奥さんみたいには
到底なれないと思う。ただ自分が出来ないことも多くあるけど多少なりとも
得意なこと出来ることもあるので夫と娘のために最大限頑張りたいと思ってる。
こんな私を家族はとても良く理解してくれて本当に感謝している。
生涯婚姻率が低下する一方やと聞く。独身で自由を謳歌するもいいと思う。
何にも縛られず好きなことが出来る独身は幾つになっても最高かも知れない。
親戚づきあいは煩わしい、子育てはお金がかかる、何より他人と暮らすことは
異文化交流や。けど私はやっぱりあの時夫とずっと一緒に居たい一心で結婚
して欲しいと懇願して良かったと思う。好きな人とずっと一緒に居たいという
ただそれだけの単純な気持ちやったけど自分のその気持ちを信じてここまで
来たし紆余曲折あったけれどそれなりにしあわせと言える。夫はいつも私の
邪魔をせず危なっかしいと思いながらも暖かく見守ってくれた。感謝してる。
仕事も家族がいるからこれまで頑張れたしこれからもやるしかないと思てる。
他人と長く暮らして得るものは自分にとっては思いの外多かった。寡黙な人
なので彼がどう思ってるかは知らない。でも私は本当に感謝してもしきれない
しこれからも良ければよろしくお願いしたいと思う。本当にありがとう。
posted by menchan at 20:49| Comment(0) | 雑記

2019年08月15日

米寿

父の訃報で順番が前後してしまいましたが土曜日はおばあちゃん(義母)
の米寿のお祝いでした。まず八十八のお誕生日を迎えるまで元気で自活
した生活を送ってくれていることにとても感謝しています。
私達の近くで一人暮しを初めて2年が経ちました。おばあちゃんがこちら
に越して来たのが2年前の今日。高齢ですし今までの生活を捨ててこちら
で一人で暮らすことに不安はあったと思います。慣れた暮らしへの執着も
あったと思います。色々と奪ってしまったのではないかと言う気持ちも
無きにしも非ずで心配していましたがこちらの暮らしにも馴染んで穏やか
に楽しくやってくれていること本当に有難いと思っています。
近所なので夫が毎日食事を届けていますがそんな暮らしが成り立つのも
おばあちゃんが元気で居てくれるからこそで毎日なんの障害もなく仕事に
当たり前に行かせてもらえていることにも感謝でいっぱいです。
米寿のお誕生日の週はデイサービスでお祝いをしてもらったり、孫や息子
がお祝いに来てくれたり、私の母が赤飯を焚いてお祝いに行ったりで、
「嬉しかった」とニコニコしながら話してくれました。夫の弟の息子(孫)
からは感謝のいっぱいこもった手紙が届けられ私も見せてもらいましたが
涙なしでは読めませんでした。お互いいい関係性なのだと思いました。
大きなケーキを持ってきてくれたので私達もお裾分けをいただきました。
デイサービスの方がくれた誕生日カードを大切にしまってあるお菓子の箱
から出してきては自慢げに見せてくれる満足そうな顔も可愛く愛しい。
なんだかなぁ、私自身初老に差し掛かってるのか、愛しく愛するものが
老若男女の垣根を越えてどんどん増えてきてそこら中愛で充満してます。
愛しいとか愛してるとか昔は特定の人にしか恥ずかしくてよう言わんかった
んですが最近思ったら簡単に口に出してしまう。だって愛おしいんやもん。
この年になると自分の気持ち伝えるのに恥ずかしいも何もないです。
和やかな米寿祝のランチの後、同日に父の訃報からバタバタのお盆やった
んですが頑張って生きてきたおばあちゃんの人生、最後まで笑顔で一緒に
伴走していきたいなと意を改にした次第です。私が元気もらってます。
いつも本当にありがとう。そして88歳おめでとう。
posted by menchan at 20:19| Comment(0) | 雑記

2019年08月13日

父のこと

2019年8月10日18時ちょうどに父が息を引き取りました。5月31日に脳梗塞で
倒れホームから病院に運ばれてから2か月と10日。既に両眼の光も失っており、
右半身の麻痺が残り病院で献身的にリハビリをしていただくものの嚥下訓練
が上手くいかず食することがままならない状態で点滴を続けていました。
このままこの状態が続くと確実に死しかないので医師から胃ろうを勧められ
ましたが家族皆の意見は延命治療はしないことで一致していたので点滴のみ
で安らかに自然死を迎える時を待つ状態でした。食べられないということは
生き物にとっては「死」を意味するのだと思います。病院へ通いながら日々
やせ細っていき意識も朦朧とする父の姿を見るのは辛かったですがそれでも
痛みや苦しみは感じられず最後まで穏やかな安らかな綺麗な顔でした。
私が母から連絡をもらい映画館から病院へ駆けつけた時は既に息を引取って
おり空は血のような真っ赤な夕暮れでした。あの時の空の色忘れられません。
息をしてないと判ってはいるのに筋肉の収縮からかまだ若干布団が動いてる
気配もあり触れた頬には未だぬくもりも感じられ生きてるのではと思うほど。
それでも病院から霊柩車で斎場へ運ばれる際の痩せた1本の杖のような身体を
見ると父がこの世で為すべきことはもうすべて為したんだと納得がいきました。
母と兄では少し心もとないので葬儀の打合せから最終自宅への祭壇安置まで
全て一緒に関わりました。身内をはじめ葬儀には幾度も参列していますが
主となって身内を送る、或いは葬儀に参列してくださった方をもてなす側に
立ったことはなかったので3日間大変勉強になり色んな思いを抱きました。
まず何も分からない私達を丁寧に導いていただいた会館の方には本当に感謝
しています。典礼会館を使用しましたが生前の父の尊厳を大切にしたと感じる
湯灌の儀、着脱は見せずに丁寧に身体を清めていただき装束を丁寧に着衣して
いただいた上顔には自然なメイクまで施していただいて大変感銘を受けました。
母が学会員なので葬儀は学会葬をお願いしたのですが無報酬にも関わらず導師
さまをはじめ幾人かの方の丁寧なお念仏に素直に祈りの奥深さを感じました。
自分と関係のない人のためにも「祈る」誰にでも出来ることではないと思います。
本当に感謝しています。様々な宗教があり宗派は違えども「安寧を祈る気持ち」
は共通なんだと改めて思いました。父の実家は浄土真宗ですが学会葬をお願い
して本当に良かったと思っています。父も喜んでくれていると思います。
暑い中、遠方からも来ていただいた親族の方々にもとても感謝しています。
お通夜から泊りがけで来ていただいた方もいて典礼会館の親族控室がさながら
高級ホテル並みのラグジュアリ―感だったのでゆっくり寛いでもらえたのでは
と思います。私達も久しぶりに集まる親戚との飲み会的なノリで楽しめました。
お通夜の後の会食ではお酒の力もあってか親族も饒舌になり、知らなかった父の
思い出話なども叔母たちから聞くことができて大変有意義でした。あまり多くを
語らない父でしたので早くから両親を亡くしてとても苦労して生きてきたという
ことしか知らなかったので亡くなってからより深く理解した気持ちになりました。
若い頃は口うるさくて価値観の押し付けが煩わしかった親戚の方も自分が経年で
色々経験するうちに言ってることも受け入れれる或いは受け流せるようになり、
若い頃の私は何に拘って粋がっていたのかよく分からなくなりました。
初七日も葬儀の最中に続けて行ったので葬儀→火葬→会食→骨上げまでの流れも
スムーズで暑い最中でしたがそれほど皆さんを疲れさせることもなかったのでは
と思います。色々あっていつも父に心配をかけてた兄ですが立派に喪主を務めた
姿にきっと父も涙しているのではないかと思います。実家への祭壇安置→四十九日
の軽い打合せまで母を兄姉妹で支合って協力して行うことが出来、こじんまりした
家族葬でしたが80年精一杯生きた父に相応しい恥ずかしくない式と自負してます。
どん底の貧乏、苦労を生き抜き怖いものなどなかった父。曲がったことが嫌いで
決して多くを語らずでも自分の強さを前面に押し出すこともなく穏やかで私の娘
にとっても可愛い優しい御爺ちゃんで大好きでした。私が社会人になって23歳で
大学を受けると言った時に「途中で投げるなよ」と言った激励の言葉も忘れられ
ません。それまで何でも中途半端やった私はそこから地に足のついた人生を送る
ことが出来るようになったと思います。経済的に十分ではなかったかもしれないし
社会的な地位も高くなかったかも知れませんが一本筋の通った生き方をしてきた
そしてそれを背中で私達に教えてくれた父を本当に尊敬しています。
幼少期に十分な栄養を与えられず過酷な人生を送ってきたので老齢期には
大腸がん、肺気腫、両眼失明、脳梗塞など病気に悩まされていました。
交通事故に合い右足首を複雑骨折した時はもう寝たきりになるだろうと言われてた
のにリハビリし歩けるようになり裁判で事故の補償も勝ち取った父は根性の人
やったと思います。光を失っても取り乱すことなく希望を失わず淡々と生を全う
した父の80年間の人生で関われる時は目一杯関わり出来ることはやってきたので
悲しみや寂しさはあれど後悔や悔いは何一つありません。色々本当にありがとう。
私にはまだ少し母と一緒に残務処理が残っています。様々なことがひと段落して
ふっと空を見上げたら大きな喪失感に見舞われるのかもしれないです。そん時は
思い切り号泣しよかな。
posted by menchan at 15:24| Comment(0) | 雑記